人はなぜ学ぶ必要があるのか

「人はなぜ学ぶのか」

これは壮大な命題であり、私が人生をかけて明確な答えを導きたいと考えていることの1つです。

ですから、いくつか断片的に考察していることをお話しします。

学生時代の学びは「知識のインプット」であり、学校教育という仕組みの中で強制されるように学ぶ、いわゆる「勉強」です。もちろんこの時代の知識量が社会に出てから大きく影響するのは言うまでもありません。一方、成人してからの学びは「スキル」と「教養」ではないかと考えます。仕事で使うための「スキル」を身に付けるために学ぶことがあるでしょう。この学びは必要性があるので、勉強に近いものとも言えます。ですから、仕方がなく学ぶ人もいるでしょう。しかし、新しいことを知るのが楽しいと思える人は、より深い、より広い学びになるでしょう。

「教養としての学び」は、その人の人生の深みにつながります。好きなことを極めるために学ぶ、これほど贅沢な学びがあるでしょうか。

学びが勉強だと思う人は学ぶことを辞めてしまうでしょう。辞めてしまえば、人としての成長は止まってしまいます。よのなかには知らないことがたくさんあります。そして、わくわくする新しいこともつぎつぎと生まれてきます。だから、人はいくつになっても学び続け、成長していくのです。

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